ガラクタだらけ

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【読書】村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」

村上春樹が苦手だった。

昔何冊か読んだのだけど、どうしても文章が頭をすり抜けて、中に入ってこない。初期の作品だったのもいけないのかもしれないけれど。

だけど三浦しをんの書評がとても面白かったので、またチャレンジしてみようかという気になった。そんなときに、たまたまエッセイのオススメを受けた。

流れには乗ってみないと。

そこで、本作を読んだ。

走り続けるという「生活」

フルマラソンへの出場回数は20回を越える作者。

小説を書くようになり、体力不足を感じたのがそのきっかけだというが、やがてはフルマラソンを走り、さらには100キロマラソンにまで果敢に挑戦している。

小学生のとき、毎年行われる秋のマラソン大会を呪っていた私としては実に驚異的な話だった。順位は中の上くらいだったのだが、強制的に長距離を走らされる行為が無益に思えて仕方なかった。それは疲れるために走るとしか考えられなくて、ただの非生産的な苦役だと思っていた。

そのような行事についても、村上春樹氏は本書の中でふれて、哀れみの目を投げかけている。強制されることに対して。

まあ、自分が親になった今、マラソン行事を苦役ではなく楽しみとする子供もいることをようやく知ったので、安易にやめろとはいえないのだが。

ともかく、村上春樹氏にとって、走ることは課せられたタスクではないと明言している。

日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。


ある日突然、僕は好きで小説を書き始めた。そしてある日突然、好きで道路を走り始めた。何によらず好きなことを、自分のやりたいようにやって生きてきた。

そんなふうに、好きなことを好きなようにやって生活できる人は、才能と努力と運をいかせる一握りの人間かもしれない。

だけどそれを意識して、能動的に選択して生活するという生き方を忌み嫌う人はいるだろうか。

彼が、経営していた店をやめ、小説を書くことに専念したとき、

もう客商売はやめたんだから、これからは会いたいと思う人にだけ会って、会いたくない人にはなるべく会わずにすませよう。そういうささやかな贅沢が、少なくともしばらくは許されてもいいはずだと僕らは感じていた。

好きなことをする。会いたい人にだけ会う。

それはささやかながらも「贅沢」だと筆者は意識している。普通はしたくてもできないことだと。

だけどその贅沢を意識して行動する。

それが彼の今を作り上げ、走ることが生活の一部となり、満足してそのことを語ることができているなら、だれが批判できようか。

翻って自分のことを鑑みる。好きなことをしているか。会いたい人に会っているか。

文章を書くのが好きだ。以前よりは時間を割けている。だけどそのために生活リズムを変えたいと思いながらできていない。

必要なつきあいかなと、仕方なく人と会うことがある。それが正しいのか正しくないのかわからない。

本当に会いたい人は、身近にいるとは限らないし。時間的にも経済的にも条件が厳しかったりするし。

でもそこを乗り越えられるかが分岐点なのかもしれない。きっとあきらめないことが肝心だ。

そう思える一冊だった。

それじゃ、彼の文体に親しめたのかというと、それはまた別の話。

翻訳文学を思わせる文体はやはり私の体には合わないみたいだ。料理に好きな味付けがあるように、音楽に好きなジャンルがあるように、文章にも自分の好きな流れがあるのだろう。

それも自分だ。そういうことがわかったのも収穫だった。

この本との出会いに感謝している。